こんな会社で働きたい。渋沢栄一の生涯はまさしくSDGsを先取りしていた!

こんな会社で働きたい!

 

みなさんが働きたいと思う会社、たとえば「社員にやさしい会社」「人の役に立つ事をしている会社」「やりがいのある会社」「社会的意義のある会社」等が魅力のようです。

 

そして、このようなキーワードから連想されるのが「SDGs(エス・ディー・ジー・ズ)」。

 

このSDGs(エス・ディー・ジー・ズ)は、2015年に国連が設定した開発目標。

 

しかしこれよりもはるかに早くSDGs(エス・ディー・ジー・ズ)を意識して、いくつもの会社を興した創業の神様が日本にいたのです。

 

それが渋沢栄一なのです。

 

こんな会社で働きたい

 

突然ですが、ボクの会社っていつもいつも「売上げ!売上げ!」とうるさくて、毎日こんな感じなので正直何のために働いているのか分からなくて、むなしくなります。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

毎日そんな事を言われたら気分も滅入りますよね。Aさんの売上げ目標が、Aさんにとって、会社にとって、または社会にとって、どのように影響するのかをちゃんと上司から説明してもらいたいですね。それならAさんも納得して仕事が出来るのでしょうが。

そうなんです。サラリーマンですから、当然売上げ目標を達成しなければならないのは理解しているつもりです。それでも来る日も来る日も「売上げ!売上げ!」ですので、これってちょっとどうなんでしょう。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

それでも、ほとんどの会社がそのような感じですよ。一人一人の営業に売上げ目標の意味をきちんと説明している会社は少ないでしょう。ほとんどの会社が十分な説明をしていないようですし、各営業もあまり気にせず「まわりも同じだし、こんなもんだろう」といった感じで目標を追っているようです。

たしかに同期や先輩の売上げ目標を見て、自分の目標数字もこんなものかなと勝手に想像しています。あとは「一人あたりの販管費が年間で〇〇〇万円かかるから!」といった説明を聞いて「そんなものなんだ」と納得するようにしています。しかしどうしてちゃんと説明をしない会社が多いのですか?

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

それは課長や部長といった管理職が、創業者や社長のビジョンを理解していないケースや、そもそも創業者や社長がビジョンを語っていないのが原因でしょう。ビジョンが見えないと、それに伴う「戦略・戦術」が語れないのは当然です。

え、どういう事でしょう。もう少し詳しく教えてもらえますか。そういえば自分の会社のビジョンを聞いたことが無いのです。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

「戦略・戦術」の一環として「売上げ目標」があるのです。もう少し詳しく説明しますと、「戦略」とは「ヒト・モノ・カネ」をどのように配置するかを決める事なのです。そしてその戦略に沿ってどの程度の「売上げや利益」をあげるかを決めているのです。そのようなことから、会社には創業者や社長のビジョンの共有がとても重要なのです。

すみません、頭が混乱してきました。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

まずはじめに、会社には創業者やトップにその会社で実現したいビジョンがあるのです。そしてそのビジョンを達成するためには戦略が必要です。そしてその戦略を細かな戦術により達成した結果、「売上げや利益」があるのです。会社は利益を追求するので、会社のビジョンを達成して利益を上げるのは当然ですよね。つまりみなさんの売上げ目標は、会社のビジョンを達成するためにあるのです。

やっぱりそうすると、会社のビジョンが分からないと、何のために働いているのか分からないですよね。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

その通りです。まずはみなさん自身の会社のビジョンを確認しましょう。そして会社選びはこのビジョンに共鳴できるかどうかで決めるべきなのです。そうしないとみなさん自身が「なぜ働くのか?」という意味が見つけられないからです。

 

こんな会社で働きたい。

 

多くのみなさんの希望は「やりがいのある会社」「自分が成長出来る会社」になるのではないでしょうか。

 

もちろん「給料の良い会社」「休みの多い会社」「残業が少ない会社」「雰囲気が良い会社」等もみなさんの希望としてはあることでしょう。

 

しかしやはり仕事を通して「達成感」が感じられないようですと、人の欲求というのは満たされません。

 

そういう点からもやはり「やりがいのある会社」や「自分が成長出来る会社」が重要なのです。

 

【会社選びのポイント】

会社のビジョンに共感すること

 

Dr.キャリアアドバイザー

会社のビジョンに共感して初めて、仕事を通して「やりがい」や「自己成長」を実現できるのです。この会社ビジョンにSDGsのような開発目標が含まれていると、さらにみなさんのやる気がアップすることでしょう。

 

SDGs(エス・ディー・ジーズ)をご存じですか

 

SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称

 

SDGs(エス・ディー・ジーズ)は、国連加盟国が2030年までに達成するために掲げた「17の目標」のことを言います。

 

貧困や飢餓、エネルギー、気候変動、社会の平和などのこれらの問題に対して、国・社会・会社・個人が取り組んでいきましょうというものなのです。

 

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素晴らしい、このSDGsの考えにはとても共感出来ます。まさしく社会的な意義がありますよね。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

そうなんです。SDGsの概念は社会的な意義がとても高いものです。そしてこのSDGsの開発目標を積極的に取り組んでいる会社も多いのです。

SDGsに積極的に取り組んでいる会社なら、何のために売上げ目標があるのかも納得出来るかもしれません。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

ちなみに国連主導の開発目標であるSDGs。これは2015年の国連サミットで採択されたもの。そしてこれよりもはるか昔にSDGsの考えと同じビジョンで、何社も会社を起業した人物がこの日本にいたのです。それが渋沢栄一なのです

 

渋沢栄一という日本の至宝

渋沢栄一。名前は聞いたことがあります。今度1万円札になる人ですよね。

A君(20代会社員)

 

日本には偉大な創業者が数多くいますが、そのなかでも渋沢栄一は日本が誇る「日本史上最高の起業家」と言っても過言ではないでしょう。

 

多くのみなさんも渋沢栄一の偉業について詳細までは知らなくても、名前を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

 

シブサワさん

私がもっとも尊敬する偉大な事業家です。渋沢栄一の大ファンで、いろいろ研究をしていますので出来る範囲で彼の功績について紹介させて頂きます。

Dr.キャリアアドバイザー

それでは渋沢栄一自身の事や、彼が起業した会社の数々について紹介しましょう。起業した会社の多さやその会社名に驚きになることでしょう。

生い立ちについて

 

シブサワさん

渋沢栄一は1840年3月16日に今の埼玉県深谷市の農家に生まれます。徳川家康によって発足された江戸時代が、1603年に始まり1867年まで続きました。渋沢栄一の生まれは江戸時代なのです。

江戸時代ですか!?昔の人とは思っていましたが、ボクはてっきり明治とか大正、または昭和初期に生まれた人かと思っていました。

A君(20代会社員)

シブサワさん

20代前半までは、尊王攘夷派の志士たちとともに討幕運動を企てたこともありました。高崎城乗っ取りや横浜外国人居留地焼き討ちを計画していたそうです。

尊王とは、「天皇を守る」という意味。

攘夷とは、「外敵を武力で打ち払う」という意味。

討幕運動!?渋沢栄一という人は、そんなに怖い人だったのですか?尊皇攘夷派というのは、天皇を尊び、外敵を一掃しようとする人たちの事ですよね。そんなに怖い人たちだったのですか?

A君(20代会社員)

シブサワさん

怖いというよりも、思想によるものですね。しかしそれらの計画は結局中止となり、その後郷里を離れて京都へ行く事となったのです。

尊王攘夷のキッカケとは
幕末の時代、世界に目を向けると欧米列国による植民地支配が行われていました。清国は英国とのアヘン戦争に敗れることで、香港を奪われてしまいました。香港は150年以上にも渡って支配をされて、つい最近まで英国英国の植民地だったのはみなさんもご存じの事でしょう。

そんな時に浦賀にあのペリーが来航したのです。いよいよ外国が攻めてきたと大騒ぎになるのですが、幕府はそんな外国船に恐怖を覚えて、開国をしてしまいます。そんな弱腰の幕府を見て、下級武士を中心とした尊王攘夷の動きが活発になったのです。

 

一橋慶喜の家臣に

 

京都に渡った渋沢栄一は、そこで勤王派の凋落した姿を見て行き詰まりを感じるようになります。

 

そしてしばらくして江戸遊学の折に交際のあった一橋家家臣のすすめにより、一橋家に仕えることになったのです。

 

シブサワさん

このような流れで渋沢栄一は一橋家、つまり一橋慶喜に仕えるようになったのです。

一橋慶喜!?聞いたことのあるような名前ですね。

A君(20代会社員)

シブサワさん

一橋慶喜、つまり最後の将軍「徳川慶喜」のことです。

 

一橋慶喜は徳川幕府第15代将軍になると、渋沢栄一は幕臣となります。

 

幕臣 (ばくしん)とは 「征夷大将軍の直接の主君として仕える武士」のことです。

 

渋沢栄一は27歳の時、徳川慶喜の弟とパリ万博の使節団としてフランスに渡っています。

 

そして現地にて西洋の近代的な産業を目の当たりにして、先進国のすごさや実態を学んだのです。

 

しかし翌年帰国した時には、日本国内は明治維新によって慶応から明治となっていました。

 

日本に帰国した後、静岡に謹慎していた慶喜と面会します。

 

そこで慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」と言われたのですが、やはり一橋家への恩に報いたいと思い、徳川家とともに静岡に移る事となったのです。

 

このようなエピソードを聞くと、渋沢栄一という人物は義理や人情を重んずる人だったのでしょうね。

A君(20代会社員)

ヨシノブさん

大政奉還を果たした慶喜、幕府と皇族双方の血が流れる最後の将軍。そんなバランス感覚のある慶喜に、きっと渋沢栄一は惚れ込んでいたのでしょう。

 

日本初の株式会社を設立、そして官僚に

 

慶喜の後を追って静岡に移り住んだ渋沢栄一は、静岡藩に仕官することになります。

 

静岡に渡った翌年、フランスで学んだ株式会社の仕組みを参考に、なんと日本初の株式会社「商法会所」を設立します。

 

新政府からの借入金返済のために作った会社ですが、ここでは今で言う銀行のような業務を行っていました。

 

この活躍を聞いた新政府の役人は、渋沢栄一を何とか民部省(現代の財務省)に迎え入れようと何度も説得を行います。

 

最初はその話しを断っていたのですが、ついに根負けして民部省(大蔵省)に入省することになったのです。

 

そしてこの時熱心に渋沢栄一を口説いていたのが、あの大隈重信だったのです。

 

大隈重信と言ったら元総理大臣で、あの早稲田大学を創設した方ですよね。やはりすごい有名人が出てきましたね。

A君(20代会社員)

オークマさん

渋沢栄一さんに惚れて、何回も口説いたものです。ようやく民部省(大蔵省)に来てくれる決心をしてくれた時は、本当にうれしかったですよ。

 

民部省(大蔵省)では財政制度を整えたり、貨幣制度の導入を行いました。

 

しかし軍の予算削減案を巡って意見が対立し、4年間勤めた民部省(大蔵省)を辞めることになります。

 

そしていよいよ民間の実業家としてデビューします。

 

渋沢栄一の華麗なる実業家時代

 

いよいよ渋沢栄一が実業家としてデビューしました。

 

1837年に33歳で実業家デビューしてから76歳で実業界を引退するまでの43年間で、渋沢栄一が携わった起業は「500社」にも及びます。

 

500社!?500社もの会社の起業に関わったというのですか?1人の人間がそんな事が可能なのですか?

A君(20代会社員)

 

民部省(大蔵省)を辞職した栄一は、1873年(明治6年)に第一国立銀行を創設。

 

日本で最初の銀行を創業して総監役に就任します。

 

この第一国立銀行はのちに第一勧業銀行となり、今のみずほ銀行となります。

 

えっ、あのみずほ銀行ですか?ボクも口座持ってますよ。はるか遠くの存在だった渋沢栄一が、いきなり身近になりました。

A君(20代会社員)

シブサワさん

そうでうすね。そしてこの日本初の銀行の創業だけでもスゴイことですが、これだけでは無いのが渋沢栄一の浮世離れした凄さなのです。

 

銀行関連で言いますとみずほ銀行の創業だけでなく、1892年(明治25年)に小口の貯蓄を集める貯蓄銀行の制度ができると、東京貯蓄銀行を設立します。

 

この東京貯蓄銀行は現在のりそな銀行であり、渋沢栄一は取締役会長を務めていました。

 

そのほか、日本の高度経済成長を支えた名門「日本興業銀行(現在のみずほ銀行)」、残念ながらバブル経済崩壊の影響で倒産した旧大手都市銀行のひとつであった「北海道拓殖銀行」についても設立委員として開業を指導しました。

 

渋沢栄一が起業に関わった銀行

第一国立銀行(現:みずほ銀行)
日本興業銀行(現:みずほ銀行)
東京貯蓄銀行(現:りそな銀行)
熊谷銀行(現:埼玉りそな銀行)
日本勧業銀行(現:みずほ銀行)
北海道拓殖銀行(破綻)
黒須銀行(現:埼玉りそな銀行)
その他

 

スゴイ、あまりに凄くて声になりません。日本興業銀行や旧第一勧業銀行とか、まさしくトップクラスの銀行ですよね。

A君(20代会社員)

シブサワさん

そうですよね。これだけの有名な銀行、つまり日本の発展に大きく貢献した銀行を創業しただけでもオドロキなのですが、これだけでないのが渋沢栄一の凄さなのです。

まだまだあるんですか?凄すぎます。もっともっと渋沢栄一の事が知りたくなりました。

A君(20代会社員)

シブサワさん

それではここからは、渋沢栄一が起業に関わった会社について、時系列で紹介して行きましょう。

 

時系列でみる渋沢栄一の偉業

 

それでは渋沢栄一の偉業を時系列で見ていきましょう。

 

渋沢栄一の凄さにあらためて驚き、その偉業の多さに声が出なくなるかもしれません。

 

渋沢栄一が起業に関わった会社(一例)

年代 起業に関わった会社
明治6年(1873年) 第一国立銀行(現:みずほ銀行)創業
  王子製紙(国内第1位)、日本製紙(国内第2位)創業
  東京府の瓦斯掛(現:東京ガス)創業
明治9年(1876年) 東京石川島造船所(現:IHI)の創業支援
  東京石川島造船所の自動車部門が石川島自動車製作所(現:日産自動車)が独立
  秀英舎(現:大日本印刷)創業
  中外物価新報(現:日本経済新聞)の創刊支援 
明治12年(1879年) 東京海上保険会社(現:東京海上日動火災保険)の創業支援
明治14年(1881年) 日本鉄道会社(現:JR東日本)の創業支援
明治15年(1882年) 共同運輸会社(現:日本郵船)創業
  東京電灯会社(現:東京電力)創業
  大阪紡績会社(現:東洋紡)創業
  浅野セメント工場(現:太平洋セメント)創業
明治18年(1885年) ジャパンブリュワリー(現:キリンビール)設立の理事員
明治20年(1887年) 清水組(現:清水建設)の経営支援
  東京人造肥料会社(現:日産化学)の創業支援
  東京製綱会(現:東京製綱)の創立委員
  東京ホテル(現:帝国ホテル)創業
  札幌麦酒会社(現:サッポロビール、アサヒビール)設立委員
  日本土木会社(現:大成建設)創業
明治21年(1888年) 足尾鉱山組合(現:古河電気工業、富士通)の創業支援
明治29年(1896年) 汽車製造(現:川崎重工業)創立委員
  浦賀船渠(現:住友重機械工業)相談役
明治30年(1897年) 澁澤倉庫部(現:澁澤倉庫)創業
明治39年(1906年) 京阪電気鉄道(現:京阪ホールディングス)
  帝国劇場会社(現:東宝)創業

参りました、正直凄すぎて訳が分からず声になりません。これって本当の話しですか?どこか映画の話しのように思えます。

A君(20代会社員)

シブサワさん

ふつうの人の常識では考えられない人物、それが渋沢栄一なのです。上で紹介した起業した会社、起業支援した会社はほんの一部です。ほんとうのスーパーマンですよね。

 

そして渋沢栄一は起業や起業支援だけでなく「教育」「福祉」や「外交」などにも活躍しました。

 

そちらも併せて紹介しておきましょう。

 

渋沢栄一が関わった教育・福祉・外交(一例)

東京慈恵医院(現:東京慈恵会)の相談役 
癌研究会(現:がん研究会)の設立 
商法講習所(現:一橋大学)の設立支援 
大倉商業学校(現:東京経済大学)の創立支援 
日本女子大学の創立支援
女子教育奨励会(現:東京女学館)の創立支援 
その他多数の業績有り 

 

日本女子大学の創立を支援して校長も兼務した渋沢栄一。

 

現代では考えにくいのですが、当時はまだとても珍しかった女性教育を推進していました。

 

渋沢栄一関連企業とSDGsへの取り組み

 

渋沢栄一の企業経営の理念として有名な言葉があります。

 

それが「道徳経済合一説」です。

 

「道徳経済合一説」とは、経済の利潤追求は認めつつも、同時に道徳が必要という考えです。

 

「経済活動を行う企業はすべての国や人類の繁栄に責任を持つ必要がある」とする渋沢栄一の思想は、まさしくSDGsの開発目標を先取りしたものと言えます。

 

すごい、すごいです。まさしくこのようなビジョンを持った会社で働きたかったんです。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

渋沢栄一の経営理念は、まさしくA君が理想としてた会社ですよね。渋沢栄一のすごいところは、これだけの超有名企業を起業していながらも決して利益追求主義だけでは無かった、その卓越したバランス感覚なのです。

渋沢栄一はSDGsの概念を名十年も前から企業活動を通して実現していたのですね。本当にリスペクトです。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

それでは今も続く、渋沢栄一関連企業のSDGsの取り組み事例を見ていってみましょう。

 

SDGsに取り組む渋沢栄一関連企業

日本取引所グループ サステナビリティ推進本部を設置しSDGsに積極的に取り組み
JTB 年齢・性別・国籍の有無に関わらず楽しめるユニバーサルツーリズムの企画化
太平洋セメント 処理困難な廃棄物をセメントの原燃料として使用
東京ガス 賞味期限の切迫により廃棄されていた食品などの販売
東洋紡 使用済みプラスチックの再資源化事業への取り組み
清水建設 強靭な建物・社会インフラの構築による施設の長寿命化の実現
帝国ホテル 余ったパン生地の活用によるフードロスの削減
東京海上HD LGBTに対応した保険商品の販売
日産化学 ディーゼル車の排出ガス浄化装置の販売

 

これらはほんの一例となりますが、渋沢栄一が唱えた道徳経済合一説は今の時代にも渋沢栄一関連企業で生き続けているのです。

 

渋沢栄一のビジョンとは

 

Dr.キャリアアドバイザー

「会社選びは、その会社のビジョンに共感・共鳴できるかどうかで決めるべき」と言いました。しかし最近多くの会社でこのビジョンが謳われていません。そこであらためて渋沢栄一のビジョンについて見ていってみましょう。「ビジョンが人の心を打つ」という事が理解出来るはずです。

 

【有名語録】服従必ずしも善意ならず、反抗心必ずしも悪意ならず

【有名語録】自分は円満な人間と思われているが、正義に反するものとは争うことを辞さぬ

 

Dr.キャリアアドバイザー

渋沢栄一の有名語録ですが、まさしく渋沢栄一という人物を象徴した言葉と言えるでしょう。そのほか渋沢栄一の活動記録を見ていきましょう。

 

商業学校の振興に注力。その意図とは「官と民との格差」「蔑視と卑屈」の是正にあったと言います。

貧困の解消のひとつとして養老院の改革に注力。

*養老院とは・・・身寄りのない高齢者を収容して保護する施設 。昭和38年の老人福祉法により「老人ホーム」 と改称。

ジェンダー平等ともいえる女子教育の支援にも注力。女子が新しい社会にとって必要不可欠であることを、今から何十年も前に認識していた。

 

こんなリーダーがいる会社なら、ぜひ自分もそこで仕事に没頭してみたいと思います。

A君(20代会社員)

 

まとめ ビジョンが明確な会社で働こう

 

Dr.キャリアアドバイザー

いかがでしたか。渋沢栄一とその偉業についてまとめてみました。

感動しました。一気に渋沢栄一の大ファンになりました。もっともっと渋沢栄一について勉強してみようと思います。

A君(20代会社員)

Dr.キャリアアドバイザー

そして会社経営にはビジョンがとても重要という事も理解して頂けましたか?そもそもどうして渋沢栄一は500以上もの起業や起業支援が出来たのでしょう。それは彼がただの起業家ではなく、明確なビジョンを持ち合わせていたからでしょう。

シブサワさん

渋沢栄一がスゴイのは500以上の会社の起業はもちろんですが、それよりも多くの会社を大企業に育てたことです。会社を大きくするには従業員が一丸とならないと不可能です。渋沢栄一は従業員を一致団結させて会社を大きく育てたのです。そして多くの従業員の気持ちを動かすには、トップが発するメッセージにビジョンが必要なのです。

ボクも渋沢栄一のようなビジョンをもった会社で、頑張っていこうと思いました。

A君(20代会社員)